嫦娥5号による44年ぶりの月サンプルリターンの成功は世界中で大きなニュースになりました。中国の宇宙開発は国主導のプロジェクトだけではなく、民間も非常に勢いがあります。3つしかない有人宇宙飛行を成功させた国の一つでもあります。

中国の宇宙開発は長い歴史があります。『宇宙の話をしよう』ではロシア、アメリカ、ドイツ、日本の「ロケットの父」を取り上げましたが、中国にも「ロケットの父」と呼ばれる人がいました。彼もまた、時代に翻弄された波乱万丈の人生を送りました。その話をしましょう。

ジェット推進研究所の共同設立者であるカルマン(右)と銭(中央) 画像:アメリカ陸軍

 

中国のロケットの父と呼ばれる銭学森は、まだ中国が清の時代だった1911年に生まれました。とびきり優秀だった銭は公費留学生に選ばれ、1936年にアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学し、後にカリフォルニア工科大学で博士号をとりました。

この時に出会ったのが高名なセオドア・フォン・カルマン博士です。銭はカルマンのロケット実験の中心メンバーとなります。カルマンと銭がカリフォルニア工科大学から車で10分ほどの郊外の河原にロケット実験のために設立したのが、現在僕が勤めているジェット推進研究所。NASAの太陽系探査の中心地です。銭はアメリカのロケット工学の黎明期に多大な貢献をしました。

ところが40年代の後半、マッカーサーのレッド・パージ(共産主義者への弾圧)が行われている時代に、中国出身の銭は共産党のシンパではないかという疑いをかけられてしまいます。1950年にはFBIの取り調べを受け、5年間もの軟禁状態に置かれてしまいます。彼がアメリカに失望したのも、無理はないでしょう。

アメリカと中国政府との取引の末、彼は1955年に中国に帰国し、中国のミサイル(ロケット)開発の中心人物となります。彼のリーダーシップの下、中国は核ミサイル開発に成功し、やがてアメリカを脅かす存在になります。

日本が初の人工衛星おおすみの打ち上げに成功したわずか2ヶ月後の1970年4月24日、中国は銭の下で開発された長征1号ロケットで初の人工衛星・東方紅1号を打ち上げ、独力で人工衛星を打ち上げた5番目の国になりました。この長征シリーズのロケットは、現在も中国の宇宙開発の最前線で使われています。

(嫦娥5号の打ち上げに使われた長征5号ロケット)

アメリカが銭を冷遇したことはとてつもない損失であったばかりか、冷戦中の敵であった中国を大きく利することになってしまいました。海軍長官であったダン・キンボールは「この国が行なったもっとも愚かなことだ」と怒ったそうです。

異質な者を恐れ排除することが、結果的に敵を利した。この歴史的事実は、自国中心主義がはびこる現代に、いくばくかの教訓をもたらしているように、僕には思えます。

(Photo/Xinhua/China National Space Administration)

 

 

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